詳細プロフィール

 

 

 高度成長期で日本が活気に満ちていた頃、広島市中区で私は産声をあげました。

 両親は会社を経営していたので、私たち4人の面倒はずっと祖母がみてくれていました。

 

 4人姉妹の次女である私は、子供の頃いつも姉と遊んでいました。 

 幼少時代は、いつも虫取り網を持ち、近所を走り回っては、どぶ(今でいう側溝)に落ち、通りがかりの人に助けてもらうという日々の連続。

 一度、姉と姉の友達と一緒に遊んでいて、私がどぶに落ちてしまって、姉が私を助けようと飛び込み、二人して近所の人に助けられたこともあったなあ。

 そんな日々の幼少時代から小学校に入学してからは、何とかどぶに落ちることもなく、無事に過ごしました。走るのがとても速く大好きだったので、学校から帰ると近所の男の子と走る競争をしていました。

 私の小学校は何とかついていってれば、中・高にそのまま行けるので、ほとんど勉強もせず、青春時代をひたすら楽しみました。

 大学受験の際には、とにかくつぶしのきく学部にしようという安易な考えから法学部。今までが、共学で育ってきたので、女子の多い学部はちょっとあわないという理由もありました。

 大学時代は、とにかく楽しくて、勉強もしないでよく遊びました。授業もよく抜け出し、皆でお茶ばかりしていました。いやー、今思うと、この時にしっかり勉強して人生設計をたてておくべきだったと後悔していますが・・・

 大学卒業後、いよいよ就職。

 その頃の私は、ファッションにとても興味があり、あこがれのアパレル総合商社(東京本社)の試験を受けましたが、最終面接でなんと不合格!

 今まで2回筆記試験を受け、3回も面接をしてきて、最後の最後で不合格なんて〜。

 あきらめる?いや、何でダメかを聞かないと納得がいかないわと思って、人事部に電話をかけました。

 人事部の担当者曰く、「あなたは、弊社でどうしても働きたいという熱意が伝わらなかった。」

 「そ、そんなー。」私は電話口で、「何とかもう一度チャンスを下さい。」と御願いしました。 

 そこまで言うのならと、もう一度面談をしてくださることになりました。が、行ってみると、次から次から人事部のお偉方が出てこられ、正直、怒られるかと思いましたが、私の熱意が通じたのか、めでたく内定をいただくことができました。ダメもとで御願いしてよかった。就職先が決まって安心した瞬間でした。   

 私が入社した頃は、雇用機会均等法が施行されたばかりでした。男女の区別は全くなく、会社は平等に給料を払うのでそれだけの仕事をして下さいよ、女子総合職に会社は期待しているのですからと人事の方に何度も言われました。めちゃめちゃ仕事しました。夜、10時〜11時頃まで会社で仕事して、それから飲みに行って終電で家に帰るという生活を続けていました。よく身体が続いたなあと思います。

 その後、両親の強い説得により5年間勤めたその会社を退職し、広島に帰り、建設会社に14年間従事。その間、結婚し、3人の子をもうけました。

 よし、これからは仕事に打ち込むぞという時、勤務していた建設会社が・・・。 

 これから、私はいったいどうしたらいいのだろう?子供もまだ小さいのにどうやって育てていけばいいのだろうと、不安で不安でしかたがありませんでした。

 

 落ち込んで落ち込んで、そしてある日、思いました。

  人生は長い。またやり直せばいい。

 

  さあ、これからの人生、何をやろうか。 

 

  今、自分のもっているもので、使えるものは何だろうか?これなら人に負けない、そして一生続けられるものは何だろうか? 

 そうだ!そういえば、私は若い頃、資格マニアで色々と資格を取得していたんだ。 

 私は、建設会社に長年勤務して、建設業関係の申請をずっとやってきた。それって、行政書士の仕事だわ!契約書も作ってきたわ。それも行政書士の仕事!  

 決めた!私はこれを一生の仕事にしよう。 

 

 でも・・・。行政書士って建設業関係だけじゃないよね。建設業以外、何の知識もない私。

 どうすりゃいいの?  

 とにかく行政書士事務所で私を雇ってくれるところを捜そう。 

 ハローワークに行きました。 

 全くなし。  

 2週間、毎日のように通いました。 

 行政書士事務所の求人のなさに悲しくなり、これは、広島の行政書士事務所を回って、直談判するしかないのかと思って、半ばあきらめかけていた頃・・・。 

 み、見つけたー!  あったじゃない。  

 それから、すぐに連絡をとって面接をしていただき、ありがたいことに働かせていただくことになりました。  

 そこの先生には、ほんとにお世話になりました。毎日が勉強の連続で、多くのことを学ばせていただきました。  

 ただひたすら実務にあけくれる毎日でしたが、私がとても感謝していることは、ひとつひとつの案件を、最初の打ち合わせに始まり、スケジュール管理・書類作成・役所との折衝・申請・完了報告まですべてやらせていただけたことです。ただ、作業だけに終わらず、お客様が何を考え、なにを望んでいるのかということが、直接お話しすることで、わかってきました。 

 事務所勤務にも慣れ、楽しく仕事をしていましたが、子供の学校から毎日のように不審者情報がはいってくるようになりました。なんて、物騒な世の中なんじゃ。 

 一番下の子はまだ小学校の低学年です。私の留守に何かあったらどうしよう。その心配が日ごとに大きくなってきました。 

 雇われていては、時間が拘束されてしまうので、何とかほかの働き方を考えないと・・・。 

 考えて、考えて出した結論は、「よし!自分でやろう。」でした。 

 

 この仕事が好きで、ずっと、企業を支援していきたいと思うなら、それと同時に家庭や子供のこともほっておきたくないのなら、自分でやるしかないんです。

  と、いうわけで、お世話になった事務所を退職することになりました。  先生、私のわがままを聞いてくださり、本当にありがとうございました。 

 そして、現在、自称 広島のエドはるみ(?)、行政書士のおばちゃん(笑)として、皆様に支えていただきながら頑張っております。